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江風 (白露型駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
江風 (白露型駆逐艦)[かわかぜ]

江風(かわかぜ/かはかぜ)は、大日本帝国海軍駆逐艦#第171号の4 10.5.6江風、海風p.2〕。一等駆逐艦白露型の9番艦〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』〕。海風型駆逐艦(改白露型)3番艦である。この名を持つ帝国海軍の艦船としては浦風型駆逐艦の「江風」〔#達大正3年9月p.18『達第百三十七號 軍備豫充費ヲ以テ英國耶社ニ於テ建造中ノ第三十五號第三十六號驅逐艦ニ左ノ通命名ス|大正三年九月十二日 海軍大臣 八代六郎|第三十五號驅逐艦 浦風ウラカゼ|第三十六號驅逐艦 江風カハカゼ』〕〔#達大正5年8月p.6『達第百二十號 大正三年達第百三十七號中「第三十六號」及「第三十六號驅逐艦江風カハカセ」ヲ削ル 大正五年八月七日 海軍大臣 加藤友三郎』-『達第百二十一號 大正三年達第百八十號中「江風」ヲ削ル 大正五年八月七日 海軍大臣加藤友三郎』〕、江風型駆逐艦の「江風」〔#達大正6年8月p.5『達第九十四號 軍備補充費ヲ以テ製造ノ一等驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス|大正六年八月十五日 海軍大臣 加藤友三郎|横須賀海軍工廠ニ於テ製造ノモノ 江風 カハカゼ|舞鶴海軍工廠ニ於テ製造ノモノ 峯風 ミネカゼ|三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造ノモノ 澤風 サハカゼ』〕〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.155『谷風型(二隻) 艦種一等駆逐艦 谷風(たにかぜ)昭和10年4月除籍 江風(かはかぜ) 艦歴始め江風は浦風の姉妹艦として英國にて建造せしも大戦中伊太利に譲與し、其代艦を横須賀にて造る。昭和9年4月1日除籍。(備考)伊太利に譲渡せしものは、目下同國にてGe.C,Montanariと称し、尚ほ同國艦籍表に存す。 要目(略)江風 大正6-2-15 進水6-10-10 竣工7-11-11 横須賀工廠』〕に続いて3隻目。常に最前線で活躍していた駆逐艦だったが、1943年(昭和18年)8月6日のベラ湾夜戦で沈没した〔#半藤(朝日ソノラマ)243-244頁〕。
==艦歴==

=== 太平洋戦争まで ===
1934年(昭和9年)11月24日、日本海軍は浦賀船渠で建造予定の駆逐艦を『山風(ヤマカゼ)』、藤永田造船所で建造予定の駆逐艦を『江風(カハカゼ)』、鴻型水雷艇3隻を(鵯、隼、鵲)と命名した〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.210『◎驅逐艦山風外一隻水雷艇鵯外二隻及掃海艇命名ノ件 昭和九年十一月二十四(達二〇一) 艦艇製造費ヲ以テ昭和九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻水雷艇三隻掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 ヤマカゼ|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 カハカゼ| 株式會社石川島造船所ニ於テ建造 水雷艇 ヒヨドリ|横濱船渠株式會社ニ於テ建造 水雷艇 ハヤブサ|株式會社日本産業大阪鐡工所ニ於テ建造 水雷艇 カササギ|三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十八號掃海艇』〕。
同日附で、6隻(山風、江風、鵯、隼、鵲、第18号掃海艇)はそれぞれ艦艇類別等級表に登録された〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和九年十一月二十四日(内令四九五) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部白露型ノ項中「海風」ノ下ニ「、山風、江風」ヲ加フ|水雷艇ノ部鴻型ノ項中「鴻」ノ下ニ「、鵯、隼、鵲」ヲ加フ|掃海艇ノ部第十三号型ノ項中「第十七號」ノ下ニ「、第十八號」ヲ加フ』〕。
本艦は藤永田造船所で1935年(昭和10年)4月25日に起工〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『江風|一等駆逐艦|(艦要目略)|藤永田造船所|10-4-25|11-11-1|12-4-30|(艦装備略)』〕。
1936年(昭和11年)11月1日に進水した〔〔『○驅逐艦進水 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造中ノ驅逐艦江風昨一日進水セリ』〕。12月1日、日本海軍は初春型駆逐艦4番艦「初霜」駆逐艦長山田雄二中佐を江風艤装員長に任命した〔昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.22〕。
12月7日、藤永田造船所に江風艤装員事務所を、神戸川崎造船所に熊野艤装員事務所を設置する〔『○艤装員事務所設置 軍艦熊野艤装員事務所ヲ在神戸監督官事務所内ニ、驅逐艦江風艤装員事務所ヲ株式會社藤永田造船所内ニ設置シ本月七日孰モ事務ヲ開始セリ』〕。
1937年(昭和12年)4月30日、「江風」は竣工した〔。山田江風艤装員長も制式に江風初代駆逐艦長となる〔昭和12年5月3日付 官報第3096号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959579 p.7〕。佐世保鎮守府籍。
同年5月31日、白露型2隻(海風、江風)で第24駆逐隊が編制される(司令久宗米次郎大佐)〔昭和12年06月01日付 官報第3121号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959604 p.8〕。司令駆逐艦は江風に指定された〔『○司令驅逐艦指定 第二十四驅逐隊司令代理ハ去月三十一日司令驅逐艦ヲ江風ニ指定セリ』〕〔#海軍制度沿革(巻4、1939)pp.71-72『昭和一一.一二.一(内令四七一)|佐世保鎮守府|第二十四驅逐隊|桃、柳、樫、檜|海風、江風(一二.五.三一 二五九)/山風(一二.六.三〇 三〇五)/涼風(一二.八.三一 五五九)|樫(一二.五.一 二〇二)/桃、柳、檜(一二.五.三一 二五九)』〕。初代司令駆逐艦は「江風」〔『○司令驅逐艦指定 第二十四驅逐隊司令代理ハ去月三十一日司令驅逐艦ヲ江風ニ指定セリ』〕。
編制直後の第24駆逐隊は佐世保警備戦隊に編入、同戦隊は(戦艦《金剛》、巡洋艦《妙高長良北上》、第24駆逐隊、第23駆逐隊《菊月三日月望月夕月》、第29駆逐隊《追風疾風》)となった〔#海軍制度沿革(巻4、1939)p.51『昭和一一|一二.一(内令四七四)|佐世保警備戰隊|妙高、北上、長良、阿武隈/能登呂/第二十三驅逐隊/第二十九驅逐隊/第二十一水雷隊|昭和十二年 二.一〇(内令六三)金剛/五.三一(内令二六一)第二十四驅逐隊/八.三一(内令五六〇)朝潮/一〇.一(内令六五九)第二十七驅逐隊/一〇.一〇(内令六九一)第一砲艦隊/一〇.二〇(内令七三三)第二十二驅逐隊 第二十八驅逐隊/一〇.三一(内令七六四)第二十五驅逐隊|昭和十二年 四.一五(内令一五七)阿武隈 能登呂/五.一(内令二〇四)第二十一水雷隊/七.二八(内令三六七)妙高 北上 第二十三驅逐隊 第二十四驅逐隊 第二十九驅逐隊/一〇.三一(内令七六四)朝潮』〕。
その後、6月30日附で姉妹艦「山風」、8月31日附で「涼風」も順次第24駆逐隊に編入〔。7月18日より、久米司令は24駆司令駆逐艦を本艦から「山風」に変更した〔『○司令驅逐艦變更 第二十四驅逐隊司令ハ本月十八日司令驅逐艦ヲ江風ヨリ山風ニ變更セリ』〕。
7月28日、各艦各隊(妙高、北上、第23駆逐隊、第24駆逐隊、第29駆逐隊)は佐世保警備戦隊から除かれた〔。
江風以下第24駆逐隊(海風、山風、江風、涼風)の初陣は日中戦争であった。1937年(昭和12年)8月より第二次上海事変にともなう支那事変に投入され、船団護衛、哨戒、対地砲撃に従事した〔#24dg支那事変第2回功績概見表p.16『江風|殊勲甲|(昭和十二年十二月十三日)|(略)一.敵野砲陣地ヲ壊滅シ友軍ノ南京進撃ヲ容易ナラシメタリ 二.遡江ノ途上射殺セシ敵兵約800名ニ及ブ 三.泊地水中防備施設調査|第十一戦隊旗艦ヲ一時安宅ヨリ江風ニ変更セラレ南京ニ於テ再ビ江風ヨリ安宅ニ変更セラル』〕。また12月12日のパネー号事件では救援のため、急遽「江風」が派遣された〔#24dg支那事変第2回功績概見表p.16『江風(昭和12年12月14日)(略)三.「パネー」事件遭難者救援ノ為開源ニ進出』〕。
1938年(昭和13年)7月30日、江風駆逐艦長は伊号第七十一潜水艦艦長楢原省吾少佐に交代する(山田は8月10日より吹雪型駆逐艦駆逐艦長)。
12月15日、楢原(江風艦長)は伊号第五十七および伊号第五十八(初代)潜水艦長兼務のため退艦。後任の江風駆逐艦長は峯風型駆逐艦13番艦野風艦長吉田正義少佐となった。
また同日附で第24駆逐隊司令久宗米次郎大佐は迅鯨型潜水母艦2番艦長鯨艦長へ転任した(後日、サボ島沖海戦時の重巡青葉艦長)。後任の24駆司令は中川浩大佐となる〔。
1939年(昭和14年)5月20日、江風駆逐艦長は朝潮型駆逐艦1番艦朝潮駆逐艦長横井稔少佐に交代する(吉田は9月25日より朝潮型4番艦荒潮艦長。後日、夕雲型駆逐艦3番艦風雲艤装員長および初代駆逐艦長)。
10月15日、横井(江風艦長)は朝潮型1番艦朝潮艦長へ転任(翌年、陽炎型駆逐艦1番艦陽炎駆逐艦長)。このため白露型姉妹艦山風駆逐艦長吉川潔中佐は山風および江風駆逐艦長の兼務を命じられた〔。
11月15日、峯風型駆逐艦7番艦羽風駆逐艦長豊島俊一少佐が山風駆逐艦長に任命された事にともない、吉川中佐は2隻(江風、山風)艦長兼務を解かれ、江風駆逐艦長に専念する。
1940年(昭和15年)10月11日、第24駆逐隊のうち2隻(涼風、江風)は紀元二千六百年記念行事に伴う観艦式に参加、第二列(長門、陸奥、伊勢、摂津、凉風、江風、村雨、春雨、夕立、五月雨、漣、綾波、浦波、初雪、白雪、吹雪)に配置されていた〔#紀元二千六百年特別観艦式・第三章p.1『…第2列ニハ戦艦長門陸奥伊勢山城外特務艦摂津、駆逐艦凉風江風村雨春雨夕立五月雨漣綾波浦波初雪白雪吹雪ノ十七隻整列シ…』〕。同年11月、第二艦隊・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦那珂)に編入され太平洋戦争を迎えた。
11月15日、吉川中佐(江風艦長)は朝潮型2番艦大潮駆逐艦長へ転任。後任の江風駆逐艦長は、舞鶴要港部副官兼参謀の若林一雄少佐となった。
1941年(昭和16年)7月25日附で第24駆逐隊司令は古川大佐から平井泰次大佐に交代となった。
11月26日附で第24駆逐隊は第三艦隊司令長官高橋伊望中将の指揮下に入り、フィリピンの戦いに従事すべく日本本土を出発した〔#24dg支那事変第10回功績p.2『(略)一.十一月二十六日 新軍隊區分實施第四九州隊(指揮官第一根據地隊司令官)トシテ菲島作戰ニ関シ第三艦隊司令長官ノ指揮下ニ入リ同日「パラオ」ニ向ケ寺島水道ヲ進發ス』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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